blog 江戸の色恋艶咄

時代劇漫画原作者・篁千夏のブログ

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コラム04:吉原のホントとウソ

《おさわり禁止の吉原》
 江戸の性風俗といえば、幕府公認の遊廓である吉原を抜きにして語ることはできません。といっても本作はあくまでもエンターテイメント作品ですから、実際の吉原の姿とはいろいろな点が違いますので、漫画に描かれていることは全部が真実ではないので、注意していただきたいところです。

 例えば遊女は性行為の最中も、服は基本的に脱ぎません。現在残されている春画の多くが、服を着たまま性行為に及ぶ女性の姿です。遊女が脱ぐのは本当にほれた相手、間夫と呼ばれる男性だけで、それでは視覚的に楽しくないので、本作の中ではしばしば玉の肌を露にしていますけれども。

 また、作品の中では遊女に対して男性が愛撫するシーンがありますが、実際の吉原では男性は遊女の身体へのタッチは禁止で、ひたすら遊女の繰り出す淫戯を受ける立場に徹さなくてはなりませんでした。もし無理に手を出すと、遊女出会っても客を振る(断る)ことができました。

 性的反応を示さない女性や、または男性に一方的な愛撫をさせる自分は何もしない女性のことを、一般に『マグロ女』などといって揶揄しますが、吉原では男性がマグロになることが要求されたんですね。遊女は様々な手技や口技を駆使して客の男を絶頂に導くのでございます。


《英才教育の吉原》
 漫画でもちょっと触れていますが、遊女の多くは七歳から八歳ぐらいで吉原に連れてこられて、そこで先輩の遊女(姉女郎)に付き人として従い、吉原の作法や芸事を学びます。この幼女を禿と呼びますが、これは日本伝統のおかっぱ頭の髪形を禿と呼んだことから由来します。

 もっとも吉原の禿は、残された浮世絵や幕末の写真などを見ますと、おかっぱ頭ではなく、髪飾りをつけた島田髷(高島田)です。この髪形は俗に禿島田と呼ばれたようです。将来性があると認められた禿は、遊女の最高位である太夫となるべく妓楼の主人から直接に英才教育が施されました。

 作中のように、借金のカタに遊女になったような突き出し女郎が、小見世から中見世に移ることはままあったようですが、太夫になるようなことは、実際はありませんでした。太夫には茶道や和歌といった高い教養も求められたため、英才教育が必要だったのです。

 ではなぜ英才教育が必要だったかといえば、吉原の太夫やその下の格子などの遊女は、江戸幕府評定所に接待に出掛ける義務がありました。もちろん、性的なサービスをする訳ではなく、会話を楽しんだりことや三味線のような芸事を披露したり、時には囲碁などの相手もしたようです。


《高級官僚を相手にした花魁》
 現代で言えば、高級官僚相手に接待しなければならないような物ですから、必然的に武士の文化に対する教養が必要になります。有名な古典一通りの知識教養はもちろん、和歌を詠む能力も求められます。せっかくの和歌も、字が下手では短冊に書くこともできませんから、書道も嗜むのです。

 吉原角町の松葉屋(半蔵松葉)の粧という花魁は、二代目が能書家として知られています。現在も二代目粧が筆を取った歌碑が、今でも浅草神社に残されています。
 ほのぼのと明石の浦の朝霧に
 島がくれゆく舟をしぞ思ふ

これは柿本人麻呂の和歌です。

 現代でも、銀座の一流ホステスは、まず朝刊各紙を隅々まで読み、経済誌などにも目を通して、政財界の重鎮が店に来た時に話題にちゃんとついていけるように、日々修練しているそうですが、それに似ていますね。太夫は吉原全体でも数名しかいませんから、超のつく一流ですね。

 このような存在ですから、太夫というのは別名『大名道具』と呼ばれ、庶民とは無縁の存在です。実際、身請けするのも大名や大商人が多く、小浪花節や落語の『紺屋高尾』で有名な、染め物屋に嫁したとされる五代目高尾大夫も、実話だとする説と脚色説があります。


《花魁の定年は27歳》
 姉女郎の付き人となって学んだ禿は、十四歳ぐらいになると新造と呼ばれる見習い遊女になります。見習いなので、まだ客を取ることはなく、接客方法を姉女郎から学んだり、また姉女郎が他の客と約束がバッティングして時に、時間潰しのために話し相手をします。

 将来性が期待される禿は、姉女郎の手を離れて楼主から英才教育を施されるのですが、これを引込禿と呼びます。英才教育が施される間は、客の前からいったん姿を消すので、この呼び名があります。新造や引込禿は十六歳から十七歳ぐらいで初めての客を取って、水揚げとなります。

 遊女は二十七歳が定年とされていましたから、だいたい十年ほど吉原で働くことになります。中近江屋の遊女半太夫は、引退後に友人と語らっている折り、達磨大師は壁に向かって九年間座禅して悟りを開いたという話題が出た時、遊女は苦界十年ですと、笑って切り返したとか。

 もちろん、若くして身請けされる幸運な遊女もいれば、歳を取っても前借金が返せなかったりして、切見世と呼ばれる安価な最下層の見世に移って働く遊女も多くいました。性病に関する知識も乏しかった時代、若くして亡くなった遊女も多く、二十代前半で命を落とす者も数多くいました。


■宣伝でございます■ 当コラムはリイド社刊の月刊コミック乱に掲載された漫画『浮世艶草子(八月薫作画)』の単行本第2巻収録の[吉原細見]の回に付随したコラムを再録したものです。これを大幅に加筆・修正したコラム集が、電子書籍『江戸の色恋艶咄』となって発売中ですので、ご興味のある方は下記リンクをクリック願います。