blog 江戸の色恋艶咄

時代劇漫画原作者・篁千夏のブログ

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コラム02:江戸庶民と舟

《江戸のカーセックス》
 船を使った私娼を『舟饅頭』と呼びます。一般的な私娼である夜鷹に比較して、船を使う分だけ料金も割高ですが、船というシチュエーションが受けたのか、けっこう繁盛しました。夜鷹の料金がだいたい二十四文の時代に、舟饅頭は三十二文したといいますから、けっこう割高ですね。

 舟饅頭は現在ならば、さしずめカーセックスでしょうか。もっともこの場合は、川岸に止めた船ではなく、動いている船でいたします。当然、船を操作する船頭が必要になりますね。これはだいたい、舟饅頭の夫が務めたとされます。夜鷹も夫が用心棒代わりにことが多かったとか。

 妻が春を売る傍らで船を操作する、その心中いかばかりかと思いますが、五代目古今亭志ん生の名演で知られる『お直し』という落語は、生活に困った夫婦が妻を娼婦にし、夫が呼び込みをやる姿が描かれています。意外と江戸の庶民は精神的にたくましかったようですね。

 明和年間(一七六四〜七二年)になると、舟饅頭を御千代と呼ぶようになります。千代という色白でポッチャリした舟饅頭が評判となり、代名詞になったためです。彼女らが使う船も御千代舟と呼ばれるようになりました。梅毒で足腰が立たない舟饅頭も多く、客もリスクが高かったようです。


《江戸の輸送事情》
 江戸の街は本来、葦原の低湿地帯だったところです。昔は江戸城の近くまで海が迫っていたのを、徳川家康が入府して以来、山を切り崩して湿地や海を大規模に埋め立て、今日の形が作られました。このため、昔は海だったころの名残が、今でも『汐留』などの地名として残っています。

 江戸の町は各地に掘割が張り巡らされ、船を使った輸送がとても発達しました。昔の商業都市は海運が発達した場所でないと、発展は望めません。『江戸八百八町』と言いますが、天下の台所と言われた大坂は『大坂八百八橋』と言って、海運が発達していたことがわかります。

 船は浮力を利用するために、たくさんの荷物を一度に大量に運ぶことができます。また、船を動かすための動力と燃料は飛行機よりもはるかに小さくてすみます。このため、飛行機が発達した今日でも、タンカーなど大型の船舶による物資の輸送は欠かせない存在になっております。

 時代劇では駕籠に乗って移動する姿がよく見られますが、実際の江戸の町では、目的地によっては船の方がよく利用されました。この船も、定期便の渡し船から、スピード重視の猪牙船、雨が降っても大丈夫な屋根船、日除け船など、様々な種類がありました。


《江戸の舟あれこれ》
 船は横幅が広くなると、水の抵抗が増してスピードが落ちます。猪牙船は柳葉のような細長い形で、小回りが利きスピードも出ました。このため、吉原に行く粋人がよく使用しました。しかし横幅が狭いと当然、左右に揺れやすく、不安定です。慣れないと立ち上がることも難しかったそうです。

 このため『猪牙で小便千両』などと言われたそうです。不安定な猪牙船でも平気で小便ができるほどに慣れるには、遊びに千両ぐらいの金を注ぎ込まないといけない、という意味だそうです。いつの時代も、遊びにはそれ相応の授業料が必要だったようですね。

 暑い夏の日に、船で花火見物なんて風情があります。川面を撫でる風が心地良く、気がついたらそのまま屋根付きの船の障子を閉めて、灯りを消して睦み合う男女……なんてシチュエーションが目に浮かびそうです。屋根付きの船を屋形船と呼びますが、正確には屋根船と呼ぶべき物です。

 時代劇の影響でしょうか、屋形船が定着してしまっていますね。通常の船に屋根をつけた物だから屋根船。では屋形船とはいったいどんな船でしょうか? 屋形船は大人数が乗れる船で、まさに館が船になった物です。男女がコッソリ睦み合うならこっちの方でなくてはいけません。


《江戸の御大尽と屋形船》
 乗り込める人数も多く、庶民がおいそれと使用できるような物ではありません。お金持ちが芸者や太鼓持ちを引き連れて使用しました。例えば春、隅田川の川縁の桜が満開になった頃、夜桜見物と洒落込む時などに。古典落語にも、屋形船が登場するシーンが数多くあります。

 『汲み取り』という落語は、三味線の女師匠が弟子の男とできて、屋根船でしっぽりと楽しもうとするのを、振られた他の弟子が邪魔しようとする内容です。その邪魔する手段が、いろんな鳴り物をいっせいに鳴らして、ムードをぶち壊しにしようという方法です。

 しかし、師匠と弟子が乗った船を追いかけようにも適当な屋根船がなく、仕方がないので数隻の猪牙船に分散して乗り込み、追いかけるという展開です。ところが、前述したとおり、スピードは出ても幅が狭く多人数は乗れない猪牙船に、定員オーバーの人数で乗り込みます。

 当然の事ながら、座るスペースがないので全員立って乗り込むという、馬鹿馬鹿しい展開です。現在は公園のボートや遊園地のスワンボートぐらいしか、手漕ぎ船に乗る機会はないですが、江戸庶民にとっては、いかに船が身近であったか、よくわかる噺ですね。


■宣伝でございます■ 当コラムはリイド社刊の月刊コミック乱に掲載された漫画『浮世艶草子(八月薫作画)』の単行本第2巻収録の[舟饅頭]の回に付随したコラムを再録したものです。これを大幅に加筆・修正したコラム集が、電子書籍『江戸の色恋艶咄』となって発売中ですので、ご興味のある方は下記リンクをクリック願います。