blog 江戸の色恋艶咄

時代劇漫画原作者・篁千夏のブログ

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コラム06:浮世絵と春画の話

《浮世絵はブロマイド》
 日本の浮世絵と言うのは、今で言えばブロマイドのような物であって、その内容は雑多を極めます。美人画から風景画、名所案内、歴史に題材をとった肉筆画もあれば、暦絵と呼ばれる絵入りのカレンダーにも使われ、男女の秘め事を描いた春画まで、ジャンルは雑多です。

 これは当然で、版画として大量生産が可能になった浮世絵は、カメラと写真がなかった時代にはその代替物だったわけです。今日の写真も、大きなジャンルとしては括れてもその内容は雑多で、それこそアイドルの写真集から芸術的な風景画、卑猥なヌード写真まで雑多にございますね。

 ただ重要なのは、江戸庶民にとって浮世絵は大衆文化であって、けして高尚な芸術ではなかったと言うこと。もちろん、葛飾北斎などは芸術的な肉筆画を残しており、また後世に残すための障壁画なども描いていますが、それは大衆のために制作されたものとは、また違いますしね。

 江戸庶民にとっては、浮世絵は読み捨てる物であって、価値があるとは思われていませんでした。そのため、海外への陶磁器の輸出需要が高まると、その陶磁器が運搬中に割れないように、クシャクシャに丸めて、箱の隙間に詰める役目を負わされたわけですね。


《浮世絵の衝撃》
 ところが、日本の陶磁器を楽しみにしていた欧米の上流社会の人間は、その丸めた紙屑を拡げて見て、驚いた訳です。大胆な構図に、対象をあえて誇張した表現。ビビッドでありながら調和の取れた色彩。余白を大胆に活かした簡潔さと細密に描き込まれた部分が同居する調和の美。

 欧米の絵画文化とは隔絶したその美に、衝撃を受けたのは想像に難くありません。それまでの日本では、舶来上等で中国や朝鮮からの絵画が好まれ、雪舟水墨画などがいわゆる『高級な絵』として珍重されており、その価値を日本人自身が気付いていなかったのですね。

 もちろん、雪舟水墨画は今日でも価値がありますし、素晴らしい作品ではあります。しかし、世界の絵画史として巨視的に見た場合、東アジアの中国文明圏の絵画を、日本人が模倣して取り入れた物であり、その系譜の中に位置づけられる物です。しかし、浮世絵は日本独自の芸術です。

 これは、朝鮮半島ではただの日用雑器であった井戸茶碗に、日本の茶人が素朴な中にも飽きがこない力強さや美を、そこに見いだしたのに似ているでしょうか。印籠を腰帯に引っ掛けるための根付けも、海外で評価されて、出来の良い物は幕末から明治に海外流出してしまいました。


春画と有名画家》
 春画は地下出版でしたから、現代で言えばエロ本に当たる物です。儒教朱子学を官学とする江戸幕府においては、庶民を欲情させるような物は風紀を乱すとして、取り締まりの対象です。何しろ、時代劇ではおおっぴらに売っている瓦版でさえ、実際は禁止されていたぐらいです。

 しかし、地下出版が儲かるのは、世の常です。春画も、大衆向けの一般的な浮世絵よりも多色で刷り上げて、高値で販売していました。それだけ実入りがいいのですから、高名な浮世絵画家は皆、春画を書いています。春画を描いていない有名な浮世絵師となると、東洲斎写楽ぐらいでしょうか。

 大衆の物であった浮世絵の中で、なおかつ卑猥な物とされてきた春画ですが、今日では芸術的な価値が高く評価されており、浮世絵コレクターには必須のジャンルとなっています。芸術に対する世の評価と言う物は、時代とともに変化するもののようですね。

 昭和四十年代には、漫画は悪所として槍玉に挙がり、小学校の校庭で手塚治虫の漫画が燃やされるという、まさに『焚書』扱いになった時期もあるのですが、現在は図書週間の推薦本に漫画が含まれるようになったように、たった数十年で時代は変わるようでございます。


春画北斎と応為》
 前述したように、浮世絵画家はほとんどが手を染めていますが、春画は技術を磨く場でもあったのでしょう。ここら辺は、現在活躍している映画監督が、若い頃はポルノ映画で経験を積み、腕を磨いたのに似ていますね。もっとも浮世絵師は、有名になってからも春画を書き続けていますが。

 映画といえば、先日亡くなられた緒形拳主演・新藤兼人監督『北斎漫画』という作品がございます。本作ではデビュー間もない田中裕子さんが北斎の娘のお栄を演じており、この演技が認められて日本アカデミー賞最優秀助演女優賞と新人俳優賞などを受賞しています。

 このお栄、後に父親の跡を継いで浮世絵師になります。号を葛飾応為といいますが、これは父親の北斎がお栄に用事がある時に「おーい」と読んで声を掛けていたため、その洒落で付けたとされます。結婚しますが後に離婚して、親子で浮世絵の作画に励みました。

 葛飾応為の作品としては『三曲合奏図』や『吉原格子先の図』など、女性を描いた作品に傑作が多く、北斎美人画とはまた違った味わいがあります。合作もしていたようですから、北斎の描いた春画の中にも、ひょっとしたらお栄の代筆が含まれていた可能性も、捨てきれませんね。


■宣伝でございます■ 当コラムはリイド社刊の月刊コミック乱に掲載された漫画『浮世艶草子(八月薫作画)』の単行本第2巻収録の[枕草子]の回に付随したコラムを再録したものです。これを大幅に加筆・修正したコラム集が、電子書籍『江戸の色恋艶咄』となって発売中ですので、ご興味のある方は下記リンクをクリック願います。